A Day In The Life

とあるプログラマの備忘録

標準化という名の悪魔

最近巷では設計書の標準化だのフレームワークの標準化だの開発方法の標準化だのって言ってますけど、特定ドメインでろくにモノ造りができないのにどうやったら標準化できるのか不思議でしょうがないです。
そもそも物事を特化するよりも標準化することのほうが難しいはずです(特化することに比べて標準化するときは物事を一般化して広い視野で見る必要がありますし、抽象的に物事を捉えないといけませんし)。
例えばオブジェクト指向開発で特定の処理を書くのは簡単ですが抽象クラスの設計やインターフェイスの設計をするにはある程度知識と経験がいるのと同じです。
標準化、標準化言う前にまともにモノ造りできることの方が遥かに大事なはず。

たとえ標準化できたとしてもそれを導入したからとって失敗プロジェクトが無くなるという保障もないですが・・・。
よく「失敗プロジェクトが多いから標準化したいんだよね」なんて聞きますが、失敗プロジェクトをいくら研究しても標準化なんてできないと思っています。
標準化するにはかなりのコストがかかる、それでいて標準化は銀の弾丸ではないと思っています。

ほとんどのコーチは、自分の負け試合をビデオで研究するしかし、私は自分の勝ち試合をビデオで研究する。
自分のどこが正しかったのかを知るためにね。
ポール・ブライアント(伝説のフットボールコーチ)